Texts

Q

大切な問いほど、問いそのものが言葉に落とし込めないことが多い。それを問いと呼べるのか分からないので、Qと呼んでいる。
多くの場合、ある一つの単語や節から受けとった美的な感覚が強い印象となって頭の中に残り、それがQとなる。その答えはもちろんのこと、Qそのものの輪郭はぼやけている。それはまるでひらひらと不安定に舞う蝶を追いかけるような不確かな感覚だ。しかしそれを追いかける過程で、Qに付随した問いが無限に生まれその一つの言葉から受けた印象の豊かさが噴出する。なぜそれが実際に見たものや体験したことではなく言葉なのか、確かなことは一つの言葉にはそれだけの豊かさがありいつもその起点となる言葉を”期待している”。 

“Where the kiss will be tomorrow”という言葉に紐づいて考えてきたことは、主に時間についての問いのように思う。時間はこの世のテーマの中でも最も根源的で多面的で難解なテーマの一つだが、この言葉がそこにとっかかりをくれた。「この宇宙は動詞と名詞の間で揺れ動く一枚の膜かもしれない」というアイディアはこの言葉を頼りにマテリアルとの対話と思考を繰り返す中で生まれた宇宙及び意識に関する一つのモデルだ。

最近頭の中を駆け回っているのは”Space is blue and birds fly through it.”(宇宙は青く、鳥はその中を通り抜ける)”という言葉だ。これは量子力学の祖であるハイゼンベルクがフェリックス・ブロックとの散歩中に発した言葉だが、空間を線形演算の場に過ぎないとつぶやいたブロックに対して、物理学者が実際の観察の証拠からかけ離れた抽象概念で自然を記述することに対する懐疑的な意味を込めた反応であるという。線形演算の場としての世界にその極を当てた二重性に美しさを感じるし、文脈を抜きにしてもぼんやりと考えていた複数のテーマと関わっているということかもしれない。それはあえて言葉にしてみると次のような問いになる。

”この宇宙が一つの膜のようなものだとしたら、複数の膜たちは空間の中で作用しあえるのか、その間をすり抜けるものはなにか、膜に生まれる影は何か。

Tim Ingoldはラインとブロブという概念を用い、ブロブが領域を持ち他者と関わる時に個別性を保てないこと比較して、ラインは領域を持たずに個別性を保ったまま異なるラインと関係することができると述べた。では異なる膜はどのように関係しあい、対話し、一体となる(もしくはならない)のだろうか。膜の間を満たすものはなんだろうか。超弦理論によるとバルク空間の中で異なる膜を行き来することができるのは閉じたひも(重力子)だけだという。重力子のような「何か」が異なる膜同士を媒介するのだろうか。もしくは互いの個別性を保ったまま透過するようなことは可能だろうか。衝突したら何が起こるだろうか。このことを考えていくときに膜が多孔質であるということが重要な意味を持っているように感じている。

このように問いの輪郭はいつもはっきりしないまま進み、時系列や因果関係はあべこべになる。むしろそれこそがQの持つ特質なのかもしれない。Qがある限り、時間と空間は同時に離散的に存在しているのだ。

Akari Fujise